妄想/連想/暴走――激走する脳内モルヒネの意想。 変態ハードボイルド小説作家の有相無相――
酒井しのぶの作品紹介
【ファッキン・シスターズ・クライスト】
酒好きで女好きで自堕落で格好つけの片桐有二は、二十五年まえに体験したレイプ事件のトラウマに悩まされる、ハードボイルドを気取った私立探偵。ある依頼がもとで、変態性癖が巻き起こす事件に首を突っ込むことになってしまう。高飛車で自分勝手なふしだら女の酒井しのぶと共に、事件の真相を探りだすのだが……推理あり、シリアスありの、本格ハードボイルド長編小説。
【あいつとの電話】
ツンデレコンビのしのぶと有二。小説のなかだけじゃなく、普段の会話も超ツンデレ&超下品でちょっぴりエッチ!
酒井しのぶの小説に登場する二人が織り成す、会話のみの超ショートショート作品集です。一話読みきりなので、お気軽に読んでいただければと思います。
【Shinobu to Yuji 短編集】
長編ファッキン・シスターズ・クライストの外伝的一話読みきり短編作品集。笑い、切ない過去、素直じゃない愛情、そしてお決まりのエッチな会話。しのぶと有二のツンデレコンビは、殺人事件がなくても面白い。
(注: すべての作品がR15指定です。作品の性格上、性描写、暴力描写、差別的発言などが各所に出てきます。不快に思う人は読まないでください)
酒好きで女好きで自堕落で格好つけの片桐有二は、二十五年まえに体験したレイプ事件のトラウマに悩まされる、ハードボイルドを気取った私立探偵。ある依頼がもとで、変態性癖が巻き起こす事件に首を突っ込むことになってしまう。高飛車で自分勝手なふしだら女の酒井しのぶと共に、事件の真相を探りだすのだが……推理あり、シリアスありの、本格ハードボイルド長編小説。
【あいつとの電話】
ツンデレコンビのしのぶと有二。小説のなかだけじゃなく、普段の会話も超ツンデレ&超下品でちょっぴりエッチ!
酒井しのぶの小説に登場する二人が織り成す、会話のみの超ショートショート作品集です。一話読みきりなので、お気軽に読んでいただければと思います。
【Shinobu to Yuji 短編集】
長編ファッキン・シスターズ・クライストの外伝的一話読みきり短編作品集。笑い、切ない過去、素直じゃない愛情、そしてお決まりのエッチな会話。しのぶと有二のツンデレコンビは、殺人事件がなくても面白い。
(注: すべての作品がR15指定です。作品の性格上、性描写、暴力描写、差別的発言などが各所に出てきます。不快に思う人は読まないでください)
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【ボチボチと書き始めています】
いろいろあり、忙しい毎日を過ごしています。
書きたい衝動は日に日に増してくるのですが、なかなか時間が作れず、昔のようにすべてを犠牲にして書く勇気もなく、いまは我慢の時期かなと思う今日この頃。
それでも、書かずにはいられないときもあるので、短いエピソード的なものをチマチマと書いたりしています。
皆様のところへ訪問する時間はまだなかなか作れませんが、毎日少しづつですが、勉強し精進しているところですので、いましばらくお待ちくださいませ。
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こんにちは、酒井しのぶでございます。
前回、前々回の記事からずっとジミ・ヘンドリックスについて引っ張ってしまっているので、ここらでちょっとブルースから離れてジミ・ヘンドリックスについて書いてみようと思います。
前回の記事 → ブルースだらだら書きなぐり 2回目
前々回の記事 → ブルースだらだら書きなぐり 1回目
といっても、ジミ・ヘンドリックス自体がブルースが生んだミュージシャンですので、全く関係のない話ではないでしょうから、ブルースだらだら書きなぐりの3回目として書いていきますね。
ジミ・ヘンドリックスは1942年シアトルに生まれます。
父は黒人とインディアンの混血、祖母は純潔のチェロキー族でした。
母は十代でジミを生み、育児を放棄して家を出てしまいます。ジミは母の姉夫婦に育てられ、その後戦争から戻った父に引き取られたのですが、貧乏なために毎日同じ服を着て、穴の開いた靴を履いて、いつもお腹をすかせ、小さな体はガリガリに痩せていたそうです。
父と母は仲が悪く、ジミは度々祖母のもとに預けられています。
祖母はチェロキーたちが暮らすインディアン居住区に住んでいたので、ジミは祖母からたくさんのチェロキーにまつわる昔話を聞かされ、またチェロキーたちの貧しく希望のない生活も目の当たりにします。
これにより、ジミの歌詞にはチェロキーにまつわるものや、希望のない人生についてなど、幼少期の体験がいたるところに現れています。
ジミは15歳でギターに目覚め、父が近所の学生から5ドルで買ったギターをジミに与えてくれます。
世界の名だたるギタリストたちと比べると、15歳というのは遅いスタートです。
遅いスタートにもかかわらず世界のトップに上り詰めるあたりは、ジミの才能がすごいことへの裏付けの1つとなるでしょう。
その後、多くのギタリストと同じく独学でレコードやラジオ、テレビなどから音楽を聴き、ギターの技術を習得していきます。
当時特に聴いてコピーしていた音楽はR&Bやロックンロールでしたが、アニメ音楽や効果音などもコピーしていたそうです。
エレキギターでの多彩な表現力を世に知らしめたジミの才能は、このアニメや効果音をコピーしていたところに由来していると思われます。
ジミ・ヘンドリックスが好きなブルースマンの曲をちょっと紹介しましょうか。
ブルース三大キングと呼ばれた偉人の一人、アルバート・キングです。
曲はエルモア・ジェイムズのスカイ・イズ・クライングですが、アルバート・キングもレパートリーにしていますし、世界中のブルースマンが演奏しているので、ブルースのなかでは比較的有名なので、あえてこれにしてみました。
聴いていただければわかると思いますが、曲も歌もブルースですが、ギターの唸りはロックしておりますよね。
ちょっと音楽に詳しい人ならすぐに気がつくと思いますが、ジミ・ヘンドリックスのギター奏法は、ほとんどがこのアルバートキングのフレーズなのです。
作られている音色も似ていますし、高音の切り裂くようなサウンドなどは、ジミ・ヘンドリックスはじめ多くのギタリストが多用する技ですが、アルバート・キングが創始者といっていいと思うほどに、この人のサウンドの特徴になっています。
前回の記事で紹介したロバート・ジョンソンがブルースの原型と考えるなら、アコースティックかエレクトリックでバンド形式であるかの差は抜きにしたとしても、大きな違いがあるのがわかると思います。
ブルースは古典を守りつつも、こうやって少しづつ進化していたことはこの二つを比べれば明確です。
アルバート・キングはジミ・ヘンドリックスと同じで左利きで、右利き用のギターをそのまま左に構えるスタイルです。(左利き用のギターではないので見た目が逆さまになります。当然、使い勝手は悪くなりますが、それゆえの特徴もでます。なお、動画で使用しているギターはアルバート・キングように開発されたモデルですので、左利き用になっています)
フライング・∨という名称の、見たまんま∨型のギターを使用しているのが、アルバート・キングの特徴で、ジミ・ヘンドリックスはストラトキャスターの使用が有名ですが、アルバート・キングの影響によりフライング∨も使用しています。
左利き用のギターはこの当時から存在していますが、ジミもそうでしたが、貧乏人は他人のおさがりギターからスタートするので、右利き用のギターを左に構えるギタリストはブルースマンはじめ黒人アーティストには多いのです。
さらに、ジミ・ヘンドリックスは右利き用のギターを左に構えはしますが、弦の張りかたは左利きの張りかたになります。つまり、右利きの人とは左右対称で、右利きの場合と同じように、自分から見て上に太い弦、下に行くにつれて細い弦になっていく一般的な張りかたです。(バイオリンなども基本は同じです)
ですが、アルバート・キングは右利き用のギターに右利き用に弦を張って、それを左向きに構えます。つまり、細い弦が上、太い弦が下と、通常とは正反対になります。
この違いが物語るものはなにかといいますとですね。
1つのギターを大勢の人たちが順番に貸し借りして使っていた場合、左利きの人は右利きのまま左構えをするので、この形になるんですね。
つまり、自分専用のギターがない状態でギターを学んできたという証拠だとわたくしは思っています。(あくまでわたくしの考えです)
だからといって、ジミには自分用のギターがあるから、アルバート・キングなんかよりお金持ちだったのかというと、そういうことではありません。
ジミはありえないほどに貧乏でした。ほとんどホームレス同然でしたからね。
ジミにはみんなでギターを貸し借りする友達すらいなかったというだけです。友達ができないほどに貧乏だったってだけですね。(全く友達がいなかったわけではありませんが、ギター仲間のような存在はいませんでした)
ちなみに、日本では松崎しげるがアルバート・キングと同じ右利き用をそのまま左に構えるギタリストです。あとはたしか、甲斐よしひろもそうだったと思います。
このスタイルでギターを弾くと、コード(複数音)を鳴らしたときに、音が鳴る順番が逆になるなど、通常とは違う効果や特徴を得ることができますが、当然のことながら通常できることができないということも多く、団体での演奏にはあまり適していません。
オーケストラなどと違い、ソロアーティストとして活躍できるブルースだからこそ、またソロ楽器として真価を発揮できるギターだからこそ、こういった変則的な使用方法でも活躍できたと言えることだと思います。
ですので、いまからギターをはじめる人が、松崎しげるのファンだからといって、このような使用方法でギターを習得するのはおすすめできません。(これからギターをはじめる人に松崎しげるのファンがいるとは思えませんが。爆)
さて、ジミは1961年に自動車泥棒で逮捕されます。投獄を逃れるために陸軍に入りますが、オ◯ニーとドラッグとギターにしか興味を持たず、劣等兵として目をつけられ、ある日、個室トイレでオ◯ニーしているところを見つかり、除隊になります。
陸軍がオ◯ニー禁止なのかどうかは知りませんが、軍内部でドラッグが手に入る国なんですから、オ◯ニーくらいいいじゃんねぇって思うのはわたくしだけじゃないと思います。(笑)
ともあれ、ジミがオ◯ニー大好き少年じゃなかったら、陸軍に留まりミュージシャンの道は途絶えていたかもしれませんので、オ◯ニーなくしてロックの歴史は語ることができません。(爆)
まぁ、ジミが陸軍なんかで立派な軍人になれるなんて、ありえないないので、オ◯ニーしていなくてもすぐに除隊になったとは思いますがね。(笑)
そんなわけで、ジミはオ◯ニーのおかげで除隊後に音楽活動を本格化することができます。(官能系でもないのに、オ◯ニーをこれだけ連呼するブログはほかにないだろうなぁ。爆)
ジミは、有名ミュージシャンのバックバンドを勤めだします。
ティナ・ターナーやリトル・リチャードのバックをしますが、衣装が派手だったり、ギターの演奏が目立ちすぎたりしたために、すぐにクビになってばかりの日々を過ごします。
映画バック・トゥー・ザ・フューチャーを観たことがある人は多いと思いますが、まさにあんな感じです。(というか、あの映画のあのシーンは、ジミへのオマージュだと思います)
ジミは時代の一歩も二歩も、いえいえ十歩も二十歩も先を行くプレイをしていたのです。
それがソロアーティストや、バンドの顔になるポジションではなく、有名ミュージシャンのバックなわけですから、クビになるのは当たり前ですね。
仕事にあぶれたジミは、このころ本当にホームレスと化してしまいます。
生きるか死ぬかという瀬戸際で、借り物のギターで仕事にありついたジミは、アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーに拾われます。
これにより、ジミの世界は一変していくんですね。
チャスはローリング・ストーンズのキース・リチャーズの恋人だった、リンダ・キースにジミのことを聞いてステージを観にいっています。
チャスはジミをはじめて観たときにこう語っています。
「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思ったが、実際にはジミ1人だけと知り驚いた。これほどの才能に誰もまだ気がついていなかったなんて、何か裏があるのではないかと不安になるほどだった」
1966年、チャスはジミをつれてイギリスに渡り、そこでバンドメンバーのオーディションを行い、そのままデビューシングル、ヘイ・ジョーを発表し、全英ヒットチャート四位になり、一躍スーパースターに上り詰めます。
当時の多くのミュージシャンにありがちなデビューのパターンで、この曲はカバー曲であり、のちの曲から考えてもかなり地味な曲です。それでも、ジミはバックバンドでの経験に物を言わせ、とても多彩なバッキングプレイを披露しています。
ハードロックの速弾きギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンは「ジミからはソロプレイよりもバッキングに学ぶことが多い」と語っています。
エリック・クラプトンはジミを観て「だれも彼のようにギターを弾くことはできない」という旨を語っています。
また、晩年になってから当時の心境として「廃業を考えた」とも語っています。
あのイギリス中の壁という壁いたるところに「Clapton is GOD」と落書きされ、ギターの神の名を欲しいままにしていたエリック・クラプトンですら、廃業を考えるほどのプレイをジミはしたわけです。
1967年、アメリカに逆輸入されたジミ・ヘンドリックス。
モンタレーロックフェスティバルがその最初の舞台になったわけですが、これもまた、ポール・マッカートニーが裏で糸を引いた結果です。
一般人だけじゃなく、プロミュージシャンまでもがジミ・ヘンドリックスに多大な影響を受け、彼のプレイに魅了されていました。
ちなみに、ファッションでは、軍服を身につけるミリタリーファッションの火付け役でもあり、のちにマイケル・ジャクソンがミリタリーファッションに傾倒しているのも、ジミ・ヘンドリックスの影響だろうと、わたくし個人は考えています。
また、ジミを象徴するアフロヘア。
これは1968年に発売されたアルバム「エレクトリック・レディ・ランド」にちなんで(いたと思います)「エレクトリック・ヘア」と呼ばれます。
ギターを男性器にたとえたパフォーマンスや、演奏後にギターやアンプを破壊し燃やすパフォーマンス、さらには長い手足を持つ容姿などにより、ワイルドでエキゾチックなイメージを植えつつ、ジミは一躍ロックスターの座に駆け上がります。
ベトナムの空で涙も枯れ果てていた頃、2枚目のシングル、パープルヘイズが世界を圧巻します。
派手でエキゾチックで破天荒で、いかにもロックミュージシャンという風貌のジミでしたが、実際にはシャイで礼儀正しい人間だったというのも、有名な話です。
ジミの奏法の特徴として、長い腕と大きな手が大きく関わっています。
以下、色の違う部分は専門用語だらけなので、わからない人は読まなくていいです。
日本人男性では、エレキギターでネックを握るフォームの場合、どんなに手が大きな人でも親指では5、6弦をカバーするのが精一杯になります。
一般的には、6弦を親指で押さえ鳴らせたとしても、5弦はミュートが精一杯なのですが、ジミの場合、5、6弦ともに鳴らせる上に、さらに薬指で4、5弦を同時に抑えることもでき、その際に親指は6弦だけを押さえ、2フレットも下降させたりできてしまいます。
6弦はルート音になるので、ルートを2フレット下げれば低音でセブンスが出せるという強みを持ち、バッキングの低音ランニングをネックを握ったままこなせる上に、薬指で4、5弦をカバーできるために、余った小指で高音オブリガードを加えることもできてしまうわけです。
ジミのバッキングが一人で弾いているとは思えないほどに多彩なのは、手の大きさを最大限に生かした奏法があるからです。
ジミは大きな手を持つことで、人並み外れた奏法をこなすこともできるという、まさにギタリストになるべくして生まれてきた人でした。
手の大きさが生み出すバッキングをちょっと聴いてみましょうか。
はい、変態ですね。
歌いながら弾いているだけでもすごいのに、とてもギター1本には聴こえないというね。
ロバート・ジョンソンはギター2本に聴こえたりしましたが、ジミの場合は3本にも聴こえます。
世界の有名ミュージシャンで、この奏法とまったく同じことが出来る人はいまだに存在していません。(身体的特徴を生かした奏法なため真似することができず、別のやり方で擬似的に同じような奏法をして、ジミと同じ演奏をしている人はたくさんいますが、それでも歌いながらここまでできる人は数えるほどしかいません)
ちなみに、今の曲はエンジェルと言い、幼い頃に夢に出てきた母を歌った歌です。
あらら、気がついたらまたもや長くなっていますね。
続きはまたもや次回に持ち越しましょう。
本日の「しのぶが思うハードボイルド」
反戦を訴えるにはオ◯ニーがいちばん効果的!(バカですいません。笑)
以上でございます。
それではまた、酒井しのぶでございました。
前回、前々回の記事からずっとジミ・ヘンドリックスについて引っ張ってしまっているので、ここらでちょっとブルースから離れてジミ・ヘンドリックスについて書いてみようと思います。
前回の記事 → ブルースだらだら書きなぐり 2回目
前々回の記事 → ブルースだらだら書きなぐり 1回目
といっても、ジミ・ヘンドリックス自体がブルースが生んだミュージシャンですので、全く関係のない話ではないでしょうから、ブルースだらだら書きなぐりの3回目として書いていきますね。
ジミ・ヘンドリックスは1942年シアトルに生まれます。
父は黒人とインディアンの混血、祖母は純潔のチェロキー族でした。
母は十代でジミを生み、育児を放棄して家を出てしまいます。ジミは母の姉夫婦に育てられ、その後戦争から戻った父に引き取られたのですが、貧乏なために毎日同じ服を着て、穴の開いた靴を履いて、いつもお腹をすかせ、小さな体はガリガリに痩せていたそうです。
父と母は仲が悪く、ジミは度々祖母のもとに預けられています。
祖母はチェロキーたちが暮らすインディアン居住区に住んでいたので、ジミは祖母からたくさんのチェロキーにまつわる昔話を聞かされ、またチェロキーたちの貧しく希望のない生活も目の当たりにします。
これにより、ジミの歌詞にはチェロキーにまつわるものや、希望のない人生についてなど、幼少期の体験がいたるところに現れています。
ジミは15歳でギターに目覚め、父が近所の学生から5ドルで買ったギターをジミに与えてくれます。
世界の名だたるギタリストたちと比べると、15歳というのは遅いスタートです。
遅いスタートにもかかわらず世界のトップに上り詰めるあたりは、ジミの才能がすごいことへの裏付けの1つとなるでしょう。
その後、多くのギタリストと同じく独学でレコードやラジオ、テレビなどから音楽を聴き、ギターの技術を習得していきます。
当時特に聴いてコピーしていた音楽はR&Bやロックンロールでしたが、アニメ音楽や効果音などもコピーしていたそうです。
エレキギターでの多彩な表現力を世に知らしめたジミの才能は、このアニメや効果音をコピーしていたところに由来していると思われます。
ジミ・ヘンドリックスが好きなブルースマンの曲をちょっと紹介しましょうか。
ブルース三大キングと呼ばれた偉人の一人、アルバート・キングです。
曲はエルモア・ジェイムズのスカイ・イズ・クライングですが、アルバート・キングもレパートリーにしていますし、世界中のブルースマンが演奏しているので、ブルースのなかでは比較的有名なので、あえてこれにしてみました。
聴いていただければわかると思いますが、曲も歌もブルースですが、ギターの唸りはロックしておりますよね。
ちょっと音楽に詳しい人ならすぐに気がつくと思いますが、ジミ・ヘンドリックスのギター奏法は、ほとんどがこのアルバートキングのフレーズなのです。
作られている音色も似ていますし、高音の切り裂くようなサウンドなどは、ジミ・ヘンドリックスはじめ多くのギタリストが多用する技ですが、アルバート・キングが創始者といっていいと思うほどに、この人のサウンドの特徴になっています。
前回の記事で紹介したロバート・ジョンソンがブルースの原型と考えるなら、アコースティックかエレクトリックでバンド形式であるかの差は抜きにしたとしても、大きな違いがあるのがわかると思います。
ブルースは古典を守りつつも、こうやって少しづつ進化していたことはこの二つを比べれば明確です。
アルバート・キングはジミ・ヘンドリックスと同じで左利きで、右利き用のギターをそのまま左に構えるスタイルです。(左利き用のギターではないので見た目が逆さまになります。当然、使い勝手は悪くなりますが、それゆえの特徴もでます。なお、動画で使用しているギターはアルバート・キングように開発されたモデルですので、左利き用になっています)
フライング・∨という名称の、見たまんま∨型のギターを使用しているのが、アルバート・キングの特徴で、ジミ・ヘンドリックスはストラトキャスターの使用が有名ですが、アルバート・キングの影響によりフライング∨も使用しています。
左利き用のギターはこの当時から存在していますが、ジミもそうでしたが、貧乏人は他人のおさがりギターからスタートするので、右利き用のギターを左に構えるギタリストはブルースマンはじめ黒人アーティストには多いのです。
さらに、ジミ・ヘンドリックスは右利き用のギターを左に構えはしますが、弦の張りかたは左利きの張りかたになります。つまり、右利きの人とは左右対称で、右利きの場合と同じように、自分から見て上に太い弦、下に行くにつれて細い弦になっていく一般的な張りかたです。(バイオリンなども基本は同じです)
ですが、アルバート・キングは右利き用のギターに右利き用に弦を張って、それを左向きに構えます。つまり、細い弦が上、太い弦が下と、通常とは正反対になります。
この違いが物語るものはなにかといいますとですね。
1つのギターを大勢の人たちが順番に貸し借りして使っていた場合、左利きの人は右利きのまま左構えをするので、この形になるんですね。
つまり、自分専用のギターがない状態でギターを学んできたという証拠だとわたくしは思っています。(あくまでわたくしの考えです)
だからといって、ジミには自分用のギターがあるから、アルバート・キングなんかよりお金持ちだったのかというと、そういうことではありません。
ジミはありえないほどに貧乏でした。ほとんどホームレス同然でしたからね。
ジミにはみんなでギターを貸し借りする友達すらいなかったというだけです。友達ができないほどに貧乏だったってだけですね。(全く友達がいなかったわけではありませんが、ギター仲間のような存在はいませんでした)
ちなみに、日本では松崎しげるがアルバート・キングと同じ右利き用をそのまま左に構えるギタリストです。あとはたしか、甲斐よしひろもそうだったと思います。
このスタイルでギターを弾くと、コード(複数音)を鳴らしたときに、音が鳴る順番が逆になるなど、通常とは違う効果や特徴を得ることができますが、当然のことながら通常できることができないということも多く、団体での演奏にはあまり適していません。
オーケストラなどと違い、ソロアーティストとして活躍できるブルースだからこそ、またソロ楽器として真価を発揮できるギターだからこそ、こういった変則的な使用方法でも活躍できたと言えることだと思います。
ですので、いまからギターをはじめる人が、松崎しげるのファンだからといって、このような使用方法でギターを習得するのはおすすめできません。(これからギターをはじめる人に松崎しげるのファンがいるとは思えませんが。爆)
さて、ジミは1961年に自動車泥棒で逮捕されます。投獄を逃れるために陸軍に入りますが、オ◯ニーとドラッグとギターにしか興味を持たず、劣等兵として目をつけられ、ある日、個室トイレでオ◯ニーしているところを見つかり、除隊になります。
陸軍がオ◯ニー禁止なのかどうかは知りませんが、軍内部でドラッグが手に入る国なんですから、オ◯ニーくらいいいじゃんねぇって思うのはわたくしだけじゃないと思います。(笑)
ともあれ、ジミがオ◯ニー大好き少年じゃなかったら、陸軍に留まりミュージシャンの道は途絶えていたかもしれませんので、オ◯ニーなくしてロックの歴史は語ることができません。(爆)
まぁ、ジミが陸軍なんかで立派な軍人になれるなんて、ありえないないので、オ◯ニーしていなくてもすぐに除隊になったとは思いますがね。(笑)
そんなわけで、ジミはオ◯ニーのおかげで除隊後に音楽活動を本格化することができます。(官能系でもないのに、オ◯ニーをこれだけ連呼するブログはほかにないだろうなぁ。爆)
ジミは、有名ミュージシャンのバックバンドを勤めだします。
ティナ・ターナーやリトル・リチャードのバックをしますが、衣装が派手だったり、ギターの演奏が目立ちすぎたりしたために、すぐにクビになってばかりの日々を過ごします。
映画バック・トゥー・ザ・フューチャーを観たことがある人は多いと思いますが、まさにあんな感じです。(というか、あの映画のあのシーンは、ジミへのオマージュだと思います)
ジミは時代の一歩も二歩も、いえいえ十歩も二十歩も先を行くプレイをしていたのです。
それがソロアーティストや、バンドの顔になるポジションではなく、有名ミュージシャンのバックなわけですから、クビになるのは当たり前ですね。
仕事にあぶれたジミは、このころ本当にホームレスと化してしまいます。
生きるか死ぬかという瀬戸際で、借り物のギターで仕事にありついたジミは、アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーに拾われます。
これにより、ジミの世界は一変していくんですね。
チャスはローリング・ストーンズのキース・リチャーズの恋人だった、リンダ・キースにジミのことを聞いてステージを観にいっています。
チャスはジミをはじめて観たときにこう語っています。
「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思ったが、実際にはジミ1人だけと知り驚いた。これほどの才能に誰もまだ気がついていなかったなんて、何か裏があるのではないかと不安になるほどだった」
1966年、チャスはジミをつれてイギリスに渡り、そこでバンドメンバーのオーディションを行い、そのままデビューシングル、ヘイ・ジョーを発表し、全英ヒットチャート四位になり、一躍スーパースターに上り詰めます。
当時の多くのミュージシャンにありがちなデビューのパターンで、この曲はカバー曲であり、のちの曲から考えてもかなり地味な曲です。それでも、ジミはバックバンドでの経験に物を言わせ、とても多彩なバッキングプレイを披露しています。
ハードロックの速弾きギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンは「ジミからはソロプレイよりもバッキングに学ぶことが多い」と語っています。
エリック・クラプトンはジミを観て「だれも彼のようにギターを弾くことはできない」という旨を語っています。
また、晩年になってから当時の心境として「廃業を考えた」とも語っています。
あのイギリス中の壁という壁いたるところに「Clapton is GOD」と落書きされ、ギターの神の名を欲しいままにしていたエリック・クラプトンですら、廃業を考えるほどのプレイをジミはしたわけです。
1967年、アメリカに逆輸入されたジミ・ヘンドリックス。
モンタレーロックフェスティバルがその最初の舞台になったわけですが、これもまた、ポール・マッカートニーが裏で糸を引いた結果です。
一般人だけじゃなく、プロミュージシャンまでもがジミ・ヘンドリックスに多大な影響を受け、彼のプレイに魅了されていました。
ちなみに、ファッションでは、軍服を身につけるミリタリーファッションの火付け役でもあり、のちにマイケル・ジャクソンがミリタリーファッションに傾倒しているのも、ジミ・ヘンドリックスの影響だろうと、わたくし個人は考えています。
また、ジミを象徴するアフロヘア。
これは1968年に発売されたアルバム「エレクトリック・レディ・ランド」にちなんで(いたと思います)「エレクトリック・ヘア」と呼ばれます。
ギターを男性器にたとえたパフォーマンスや、演奏後にギターやアンプを破壊し燃やすパフォーマンス、さらには長い手足を持つ容姿などにより、ワイルドでエキゾチックなイメージを植えつつ、ジミは一躍ロックスターの座に駆け上がります。
ベトナムの空で涙も枯れ果てていた頃、2枚目のシングル、パープルヘイズが世界を圧巻します。
派手でエキゾチックで破天荒で、いかにもロックミュージシャンという風貌のジミでしたが、実際にはシャイで礼儀正しい人間だったというのも、有名な話です。
ジミの奏法の特徴として、長い腕と大きな手が大きく関わっています。
以下、色の違う部分は専門用語だらけなので、わからない人は読まなくていいです。
日本人男性では、エレキギターでネックを握るフォームの場合、どんなに手が大きな人でも親指では5、6弦をカバーするのが精一杯になります。
一般的には、6弦を親指で押さえ鳴らせたとしても、5弦はミュートが精一杯なのですが、ジミの場合、5、6弦ともに鳴らせる上に、さらに薬指で4、5弦を同時に抑えることもでき、その際に親指は6弦だけを押さえ、2フレットも下降させたりできてしまいます。
6弦はルート音になるので、ルートを2フレット下げれば低音でセブンスが出せるという強みを持ち、バッキングの低音ランニングをネックを握ったままこなせる上に、薬指で4、5弦をカバーできるために、余った小指で高音オブリガードを加えることもできてしまうわけです。
ジミのバッキングが一人で弾いているとは思えないほどに多彩なのは、手の大きさを最大限に生かした奏法があるからです。
ジミは大きな手を持つことで、人並み外れた奏法をこなすこともできるという、まさにギタリストになるべくして生まれてきた人でした。
手の大きさが生み出すバッキングをちょっと聴いてみましょうか。
はい、変態ですね。
歌いながら弾いているだけでもすごいのに、とてもギター1本には聴こえないというね。
ロバート・ジョンソンはギター2本に聴こえたりしましたが、ジミの場合は3本にも聴こえます。
世界の有名ミュージシャンで、この奏法とまったく同じことが出来る人はいまだに存在していません。(身体的特徴を生かした奏法なため真似することができず、別のやり方で擬似的に同じような奏法をして、ジミと同じ演奏をしている人はたくさんいますが、それでも歌いながらここまでできる人は数えるほどしかいません)
ちなみに、今の曲はエンジェルと言い、幼い頃に夢に出てきた母を歌った歌です。
あらら、気がついたらまたもや長くなっていますね。
続きはまたもや次回に持ち越しましょう。
本日の「しのぶが思うハードボイルド」
反戦を訴えるにはオ◯ニーがいちばん効果的!(バカですいません。笑)
以上でございます。
それではまた、酒井しのぶでございました。
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