妄想/連想/暴走――激走する脳内モルヒネの意想。 変態ハードボイルド小説作家の有相無相――
酒井しのぶの作品紹介
【ファッキン・シスターズ・クライスト】
酒好きで女好きで自堕落で格好つけの片桐有二は、二十五年まえに体験したレイプ事件のトラウマに悩まされる、ハードボイルドを気取った私立探偵。ある依頼がもとで、変態性癖が巻き起こす事件に首を突っ込むことになってしまう。高飛車で自分勝手なふしだら女の酒井しのぶと共に、事件の真相を探りだすのだが……推理あり、シリアスありの、本格ハードボイルド長編小説。
【あいつとの電話】
ツンデレコンビのしのぶと有二。小説のなかだけじゃなく、普段の会話も超ツンデレ&超下品でちょっぴりエッチ!
酒井しのぶの小説に登場する二人が織り成す、会話のみの超ショートショート作品集です。一話読みきりなので、お気軽に読んでいただければと思います。
【Shinobu to Yuji 短編集】
長編ファッキン・シスターズ・クライストの外伝的一話読みきり短編作品集。笑い、切ない過去、素直じゃない愛情、そしてお決まりのエッチな会話。しのぶと有二のツンデレコンビは、殺人事件がなくても面白い。
(注: すべての作品がR15指定です。作品の性格上、性描写、暴力描写、差別的発言などが各所に出てきます。不快に思う人は読まないでください)
酒好きで女好きで自堕落で格好つけの片桐有二は、二十五年まえに体験したレイプ事件のトラウマに悩まされる、ハードボイルドを気取った私立探偵。ある依頼がもとで、変態性癖が巻き起こす事件に首を突っ込むことになってしまう。高飛車で自分勝手なふしだら女の酒井しのぶと共に、事件の真相を探りだすのだが……推理あり、シリアスありの、本格ハードボイルド長編小説。
【あいつとの電話】
ツンデレコンビのしのぶと有二。小説のなかだけじゃなく、普段の会話も超ツンデレ&超下品でちょっぴりエッチ!
酒井しのぶの小説に登場する二人が織り成す、会話のみの超ショートショート作品集です。一話読みきりなので、お気軽に読んでいただければと思います。
【Shinobu to Yuji 短編集】
長編ファッキン・シスターズ・クライストの外伝的一話読みきり短編作品集。笑い、切ない過去、素直じゃない愛情、そしてお決まりのエッチな会話。しのぶと有二のツンデレコンビは、殺人事件がなくても面白い。
(注: すべての作品がR15指定です。作品の性格上、性描写、暴力描写、差別的発言などが各所に出てきます。不快に思う人は読まないでください)
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【ボチボチと書き始めています】
いろいろあり、忙しい毎日を過ごしています。
書きたい衝動は日に日に増してくるのですが、なかなか時間が作れず、昔のようにすべてを犠牲にして書く勇気もなく、いまは我慢の時期かなと思う今日この頃。
それでも、書かずにはいられないときもあるので、短いエピソード的なものをチマチマと書いたりしています。
皆様のところへ訪問する時間はまだなかなか作れませんが、毎日少しづつですが、勉強し精進しているところですので、いましばらくお待ちくださいませ。
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こんばんは、酒井しのぶでございます。
さて、〝しのぶとロック〟でございます。
本日は、ついにロックらしいアーティストの紹介ですね。
そうです、レッド・ツェッペリンでございます。
もうロックを語るうえでは、はずすことができない存在ですね。
それではまず、生い立ちから行きますか。
1968年、オリジナル・ヤードバーズのメンバーで、最後のギタリストだったジミー・ペイジ。
思えばこのヤードバーズこそ、ロックの創造の原点とも言うべき存在なわけですが、ヤードバーズについてはまた後日ということにいたしましょうね。
7月に大学を中退したペイジは、ヤードバーズのメンバーを入れ替えて、ニュー・ヤードバーズのプロジェクトに乗りだします。
最初に集める予定だったメンバーは、他のレコード会社との契約などでボツとなり、ロバート・プラントを紹介されます。
ペイジはロバート・プラントのライブに行き、衝撃を受けます。数オクターブに広がる自由自在なヴォーカル。歌うことだけでなく、歌を楽器のようにギターと駆け合いまでする。
ペイジの構想を大きく飛躍させるのに、じゅうぶんすぎるほどの存在となったロバート・プラント。
ロバートの紹介で、ドラムのジョン・〝ボンゾ〟・ボーナムと出会い、オリジナル・ヤードバーズのベーシストが写真家に転身したために、セッション仲間のジョン・ポール・ジョーンズをメンバーに誘います。
そして、ニュー・ヤードバーズを改名。
「実体とは違うポーズをつくっているような気がした」ので――レッド・ツェッペリン(鉛の飛行船)と命名します。
最初の2週間、スタジオにこもり7曲を作成。30時間でレコーディング。こうして生まれた荒々しいファーストアルバム。
ライヴでもまた、激しいパフォーマンスと、大音量の演奏、どんどん形を変えていくアドリブのオンパレード。
レッド・ツェッペリンは瞬く間に花火のように弾け、カリスマとしての地位を築いたのです。
ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックの3人が王座だったロック・ギター界が動き出します。
レッド・ツェッペリンには前例がありました。同じヤードバーズ出身のジェフ・ベックが、ロッド・スチュワートを向かえたグループで成功を収めていたのです。
ですが、クリームが解散してしまい、大きな穴が開いていたロック・シーン。それを埋めることができたのは、ブラインド・フェイスのようなビッグ・グループしかおらず、そんなビッグ・グループは決まって短命でした。
レッド・ツェッペリンは、ビッグであるだけでなく、ベストを尽くすバンドを目指します。
ファンはどんどん増え続けます。特にアメリカで爆発的なヒットを飛ばしますが、それとは逆に評論家の批評は劣悪なものでした。
さらにそれに追い討ちをかけるように、ヘヴィ・メタルが流行りだし、レッド・ツェッペリンはそのメタル・バンドたちの最前線に立たされます。
評論家たちは、ツェップ・サウンドをただ単に音量が大きいだけだと卑下しますが、そうではありませんでした。
顕著に現れ出すのは、アルバム「レッドツェッペリンⅢ」からでしょう。ロバート・プラントの趣味で、ケルト神話にまつわる歌詞が書かれだします。スノードニア南部の荒れ果てた小屋、いまだに絞首刑の柱や追い剥ぎが現れそうなブロン・イ・アウルの自然がこれらの歌詞を生みだします。
1971年には評論家たちも意見を変えだします。
彼らが、本当にただ荒っぽいだけのバンドだったのなら、ファンのとどまることを知らない期待に答えて、どんどんヒット曲を作成したことでしょう。実際にヒットを作るなんてのは、彼らにとっては朝飯まえだったと思います。ですが、彼らはそれをせずに、常に変化することを求めました。
完全に外部をシャットアウトして望んだレコーディング。待ち望んだファンのまえに披露されたのは「天国への階段」でした。
アルバム「レッド・ツェッペリンⅣ」は、メンバーの名前がルーン文字(古代ゲルマンの象形文字)で書かれていたり、さらにロバート・プラントの色が濃く出てきます。
ブロン・イ・アウルの自然が生んだアコースティックサウンドではじまる「天国への階段」は、慎重にゆっくりと激しいエレキサウンドへと変わり昇華していきます。
そうかと思えば、初期のころの荒々しいロック・ナンバーも収められているこのアルバム。ツェッペリンが衰えることなく突き進んだのは、この多様性があったからなのでしょう。
その後も、ジャマイカ音楽や、R&Bなどを取り入れ、どんどん多様化していくレッド・ツェッペリン。多用化していくとは言え、そのどれもがすべて、ツェップ・サウンドとして動かぬスタイルのなかで演奏されています。
これこそがレッド・ツェッペリンが世界の頂点に立つことができた何よりの理由だったと思います。
1973年には、フロリダ州タンパのサッカー場で、動員数56,800人、興行収入309,000ドルにもおよび、それまでの最高記録であった、ビートルズの55,000人、301,000ドルを上回ります。
ペイジは言いました。
「会場について、集っている人たちを見ると、この人たちはみんな僕たちを観にやってきたんだと思う、つまり、僕たちのケツにみんな行列しているんだとね。しかし、みんながいつも観に来てくれるのは、また昔も観に来てくれたのは、僕たちができる限りのことをやったからだと思う。僕たちは、ガムを噛みながら出てきて、デレデレと演奏したことなんか一度だってなかった。いつも精魂尽きるまでやった。それが受けたかどうかは、別問題さ。ベストを尽くしたときには、自分のやったことに、そして妥協しなかったことに、自分自身が満足するから」
さて、それでは「天国への階段」を聴いてみましょうかね。
格好いいですねぇ。特にロバート・プラントの胸板とギャランドゥ……惚れぼれします。(そっちかい!)
レッド・ツェッペリンは先に述べたとおり、多様性がすごいので、この曲だけではちょっと紹介しきれません。ですが、プログレを生みだしたと言ってもいいくらいのこの曲は、間違いなくレッド・ツェッペリンの数ある曲のなかで、頂点に位置するでしょう。
もうちょっとオーソドックスなのをアップして終わりましょうか。
はいすいません、ぜんぜんオーソドックスじゃなかったですね。
この動画に登場する、ジミー・ペイジが操る、不思議な音を出す機械。これはテルミンと言います。れっきとした電子楽器で、しかも世界で最初の電子楽器です。世界初ですから、当然ロシアで作られました。(意味不明ですね)
通常は二本のアンテナがあって、片方が音程、片方が音量を司るんですね。手(手じゃなくてもOK)を近づけることで、電波の波形を変形させることで音を生みだす楽器です。ジミー・ペイジの場合は、アンテナ1本で、音量や音色のエフェクトなどを、べつの機械で操作しています。(たぶんこれはテープエコーかな? 違ったらごめんなさい)
このテルミンと駆け合いをしちゃうロバート・プラント。変人ですね。(笑)
この曲は、ロバート・プラントの魅力が溢れすぎています。
金髪の胸毛にむしゃぶりつきたいですよ、まったくもう。(そっちの魅力かい!)
ボンゾのドラムもすごいし、ペイジのギターもすごい。ジョン・ポール・ジョーンズは目立ってませんが、目立たないところが彼のすごいところです。
途中でジェイムズ・ブラウンばりのR&Bに展開していくところがありますが、しっかりツェップ・サウンドになっていますよね。これがツェッペリンのすごいところで、どんなジャンルの音楽を演奏してもツェッペリンの音になるんですね。
ドラムのボンゾは、多くのミュージシャンの例に洩れず、アル中が原因で死にました。世界遺産クラスのドラマーでしたから、悔やまれてなりませんが、アルコールを浴びていなければ、世界遺産クラスのサウンドを叩けなかったのかもしれません。そう考えると、音楽って下種で儚いですね。
それではまた、酒井しのぶでございました。
注: この記事はデイヴィッド・ダルトン/レニー・ケイ・共著、高橋あき子・訳の「ロック偉人伝」、それにウィキペディアからの抜粋で構成されています。
さて、〝しのぶとロック〟でございます。
本日は、ついにロックらしいアーティストの紹介ですね。
そうです、レッド・ツェッペリンでございます。
もうロックを語るうえでは、はずすことができない存在ですね。
それではまず、生い立ちから行きますか。
1968年、オリジナル・ヤードバーズのメンバーで、最後のギタリストだったジミー・ペイジ。
思えばこのヤードバーズこそ、ロックの創造の原点とも言うべき存在なわけですが、ヤードバーズについてはまた後日ということにいたしましょうね。
7月に大学を中退したペイジは、ヤードバーズのメンバーを入れ替えて、ニュー・ヤードバーズのプロジェクトに乗りだします。
最初に集める予定だったメンバーは、他のレコード会社との契約などでボツとなり、ロバート・プラントを紹介されます。
ペイジはロバート・プラントのライブに行き、衝撃を受けます。数オクターブに広がる自由自在なヴォーカル。歌うことだけでなく、歌を楽器のようにギターと駆け合いまでする。
ペイジの構想を大きく飛躍させるのに、じゅうぶんすぎるほどの存在となったロバート・プラント。
ロバートの紹介で、ドラムのジョン・〝ボンゾ〟・ボーナムと出会い、オリジナル・ヤードバーズのベーシストが写真家に転身したために、セッション仲間のジョン・ポール・ジョーンズをメンバーに誘います。
そして、ニュー・ヤードバーズを改名。
「実体とは違うポーズをつくっているような気がした」ので――レッド・ツェッペリン(鉛の飛行船)と命名します。
最初の2週間、スタジオにこもり7曲を作成。30時間でレコーディング。こうして生まれた荒々しいファーストアルバム。
ライヴでもまた、激しいパフォーマンスと、大音量の演奏、どんどん形を変えていくアドリブのオンパレード。
レッド・ツェッペリンは瞬く間に花火のように弾け、カリスマとしての地位を築いたのです。
ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックの3人が王座だったロック・ギター界が動き出します。
レッド・ツェッペリンには前例がありました。同じヤードバーズ出身のジェフ・ベックが、ロッド・スチュワートを向かえたグループで成功を収めていたのです。
ですが、クリームが解散してしまい、大きな穴が開いていたロック・シーン。それを埋めることができたのは、ブラインド・フェイスのようなビッグ・グループしかおらず、そんなビッグ・グループは決まって短命でした。
レッド・ツェッペリンは、ビッグであるだけでなく、ベストを尽くすバンドを目指します。
ファンはどんどん増え続けます。特にアメリカで爆発的なヒットを飛ばしますが、それとは逆に評論家の批評は劣悪なものでした。
さらにそれに追い討ちをかけるように、ヘヴィ・メタルが流行りだし、レッド・ツェッペリンはそのメタル・バンドたちの最前線に立たされます。
評論家たちは、ツェップ・サウンドをただ単に音量が大きいだけだと卑下しますが、そうではありませんでした。
顕著に現れ出すのは、アルバム「レッドツェッペリンⅢ」からでしょう。ロバート・プラントの趣味で、ケルト神話にまつわる歌詞が書かれだします。スノードニア南部の荒れ果てた小屋、いまだに絞首刑の柱や追い剥ぎが現れそうなブロン・イ・アウルの自然がこれらの歌詞を生みだします。
1971年には評論家たちも意見を変えだします。
彼らが、本当にただ荒っぽいだけのバンドだったのなら、ファンのとどまることを知らない期待に答えて、どんどんヒット曲を作成したことでしょう。実際にヒットを作るなんてのは、彼らにとっては朝飯まえだったと思います。ですが、彼らはそれをせずに、常に変化することを求めました。
完全に外部をシャットアウトして望んだレコーディング。待ち望んだファンのまえに披露されたのは「天国への階段」でした。
アルバム「レッド・ツェッペリンⅣ」は、メンバーの名前がルーン文字(古代ゲルマンの象形文字)で書かれていたり、さらにロバート・プラントの色が濃く出てきます。
ブロン・イ・アウルの自然が生んだアコースティックサウンドではじまる「天国への階段」は、慎重にゆっくりと激しいエレキサウンドへと変わり昇華していきます。
そうかと思えば、初期のころの荒々しいロック・ナンバーも収められているこのアルバム。ツェッペリンが衰えることなく突き進んだのは、この多様性があったからなのでしょう。
その後も、ジャマイカ音楽や、R&Bなどを取り入れ、どんどん多様化していくレッド・ツェッペリン。多用化していくとは言え、そのどれもがすべて、ツェップ・サウンドとして動かぬスタイルのなかで演奏されています。
これこそがレッド・ツェッペリンが世界の頂点に立つことができた何よりの理由だったと思います。
1973年には、フロリダ州タンパのサッカー場で、動員数56,800人、興行収入309,000ドルにもおよび、それまでの最高記録であった、ビートルズの55,000人、301,000ドルを上回ります。
ペイジは言いました。
「会場について、集っている人たちを見ると、この人たちはみんな僕たちを観にやってきたんだと思う、つまり、僕たちのケツにみんな行列しているんだとね。しかし、みんながいつも観に来てくれるのは、また昔も観に来てくれたのは、僕たちができる限りのことをやったからだと思う。僕たちは、ガムを噛みながら出てきて、デレデレと演奏したことなんか一度だってなかった。いつも精魂尽きるまでやった。それが受けたかどうかは、別問題さ。ベストを尽くしたときには、自分のやったことに、そして妥協しなかったことに、自分自身が満足するから」
さて、それでは「天国への階段」を聴いてみましょうかね。
格好いいですねぇ。特にロバート・プラントの胸板とギャランドゥ……惚れぼれします。(そっちかい!)
レッド・ツェッペリンは先に述べたとおり、多様性がすごいので、この曲だけではちょっと紹介しきれません。ですが、プログレを生みだしたと言ってもいいくらいのこの曲は、間違いなくレッド・ツェッペリンの数ある曲のなかで、頂点に位置するでしょう。
もうちょっとオーソドックスなのをアップして終わりましょうか。
はいすいません、ぜんぜんオーソドックスじゃなかったですね。
この動画に登場する、ジミー・ペイジが操る、不思議な音を出す機械。これはテルミンと言います。れっきとした電子楽器で、しかも世界で最初の電子楽器です。世界初ですから、当然ロシアで作られました。(意味不明ですね)
通常は二本のアンテナがあって、片方が音程、片方が音量を司るんですね。手(手じゃなくてもOK)を近づけることで、電波の波形を変形させることで音を生みだす楽器です。ジミー・ペイジの場合は、アンテナ1本で、音量や音色のエフェクトなどを、べつの機械で操作しています。(たぶんこれはテープエコーかな? 違ったらごめんなさい)
このテルミンと駆け合いをしちゃうロバート・プラント。変人ですね。(笑)
この曲は、ロバート・プラントの魅力が溢れすぎています。
金髪の胸毛にむしゃぶりつきたいですよ、まったくもう。(そっちの魅力かい!)
ボンゾのドラムもすごいし、ペイジのギターもすごい。ジョン・ポール・ジョーンズは目立ってませんが、目立たないところが彼のすごいところです。
途中でジェイムズ・ブラウンばりのR&Bに展開していくところがありますが、しっかりツェップ・サウンドになっていますよね。これがツェッペリンのすごいところで、どんなジャンルの音楽を演奏してもツェッペリンの音になるんですね。
ドラムのボンゾは、多くのミュージシャンの例に洩れず、アル中が原因で死にました。世界遺産クラスのドラマーでしたから、悔やまれてなりませんが、アルコールを浴びていなければ、世界遺産クラスのサウンドを叩けなかったのかもしれません。そう考えると、音楽って下種で儚いですね。
それではまた、酒井しのぶでございました。
注: この記事はデイヴィッド・ダルトン/レニー・ケイ・共著、高橋あき子・訳の「ロック偉人伝」、それにウィキペディアからの抜粋で構成されています。
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